日本最古の遺言書
先日、遺言について話している時に、「日本で一番古い遺言書って誰が書いたか知ってる?」と聞かれました。いや、そんなトリビア、知りませんって。考えたこともありませんでした。
確かに、歴史上の有名な人物なら遺言書を遺していそうですね。誰がどんな遺言書を遺してるのか知るのは面白そうだと思い、最古の遺言書について調べてみることにしました。
遺書と遺言書の違い
まず、「遺書」と「遺言書」の違いを明確にしておきたいと思います。遺書とは、自分の死後に遺された家族、友人、知人などに自分の気持ちを遺すものです。
これに対して遺言書とは、法律上で有効となる法定遺言事項について書いたものになります。もちろん、自分の気持ちについて書くこともでき、その部分は付言事項(ふげんじこう)といいます。
最古の遺言書を探すには、法律がどうなっていたかも調べる必要がありそうです。
まず、法律面を調べてみた
遡ること奈良時代の「養老令」にそのヒントがありそうとの手がかりを掴み、原文を辿ってみました。「養老律令」は、養老2年(718)藤原不比等らが「大宝律令」を一部改修して編纂、757年に施行されたものです。律が刑罰についての規定、令は政治・経済など一般行政に関する規定が書かれています。と言うことで、遺言書に関わりそうな部分は令の部分なのですね。
養老戸令応分条 凡応分者家人奴婢 (氏賎不在此限) 田宅資財 (其功田功封唯入男女) 総計作法。嫡母継母及嫡子各二分。(妾同女子之分)庶子一分。妻家所得不在分限。兄弟亡者子承父分。(養子亦同)兄弟倶亡則諸子均分。其姑姉妹在室者、各減男子之半。(雖已出嫁、未経分財者亦同) 寡妻妾無男者承夫分。(女分同上。若夫兄弟皆亡、各同一子之分。有男元男等謂在夫家守志者) 若欲同財共居、及亡人存日処分、証拠灼然者、不用此令。
養老律令:養老2年(718)藤原不比等らが大宝律令を一部改修して編纂、757年施行。律10巻、令10巻よりなる。養老律令そのものとしては残っていないが、養老令の注釈書「令義解」「令集解」などにより、ほぼ全文を知ることができる。
「養老令」の第八 戸令 23『応分条』の部分です。なんとなくですが、財産の分け方が書かれてあることが分かります。「二分」「一分」「~之半」とありますから、この時代から割合について細かく決まっていたのですね!驚きです。
そして「若欲同財共居、及亡人存日処分、証拠灼然者、不用此令。」は、《同居共財(家計を共にする生活)を望む場合、及び故人が生前に処分を行い、証拠が明白である場合には、この条文の規定は用いない。》と読めそうです。明白な証拠とは何を指すのでしょうか?これが、遺言書を指すのではないかと言われているようです。
平安時代の木簡「私は大病、馬手放したい」
さて、冒頭の最古の遺言書ですが、奈良県香芝市の下田東遺跡から見つかった木簡に書かれてある文書が候補に上がってきました。(香芝市教育委員会HP:下田東遺跡から平安時代初頭の木簡が出土)
井戸の中から見つかったもので、平安時代初頭(9世紀初頭)のものとみられています。書いた人物は、伊福部連豊足(いふきべのむらじとよたり)。香芝市教育委員会ホームページによると、豊足は特別な馬を飼育していましたが、命に関わる病気を患ったため、馬を手放して仕奉をやめようとしていたことが木簡から読み取れるそうです。前述の養老令施行後の時代であれば、生きているうちに財産を処分しようとした明白な証拠と言えますので、遺言書と考えることもできるかも知れませんね。この点につきましては、引き続きアンテナを張って調べていきたいと思います。
まとめ
・「これが最古の遺言書」と言えるものは、明確には分からなかった。
・死後の財産処分についての記述が養老令の中にある。
・財産の処分について書かれてある木簡が平安時代初頭のものとして出土している。
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